高橋名人、大ブームでも給料は会社員のまま テレビ出演も「給料です」

高橋名人が、全国的人気を得ても歩合給などはなく、会社員として給料を受け取っていた当時を振り返った。

2026/10/21 14:45


高橋名人

17日放送の『サンドウィッチマン ザ・ラジオショー サタデー』(ニッポン放送)に、ゲームプレゼンターの高橋名人がゲスト出演。お笑いコンビ・サンドウィッチマンの富澤たけし、ピン芸人の狩野英孝らと1980年代のファミコンブームについて語った。


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■「高橋名人」誕生のきっかけ

高橋名人がハドソンに入社したのは1982年。当時はまだファミリーコンピュータ発売前で、ハドソンもパソコン用ソフトを手がけるソフトハウスだった。その後、ファミコン用ソフトの宣伝を担当し、ゲームの遊び方を子どもたちの前で実演するようになった。

当時は現在の「プロゲーマー」のような呼び名もなく、「最初はね、体操の先生みたいに、ラジオ体操の先生みたいにみんなの前で『こうやったら点数取れるよ』っていうのをデモンストレーションする先生みたいな感じだったんですけど」と高橋名人。

「かしこまって言うとインストラクター。でもインストラクターってちょっとさぁ…みたいな感じになって。そこでコロコロコミックの担当者が『日本って将棋とか囲碁の世界って、すごい人を名人って言うよね』って言ったら、会議中に『高橋名人、おおそれ良いじゃねえか』ってことになって名人になったんですよね」と明かす。

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■人気者になっても「会社員の感覚」

1985年の全国ファミコンキャラバンなどをきっかけに高橋名人は人気者となり、“16連射”でも子供たちの憧れの存在に。ゲーム『高橋名人の冒険島』が発売されるほか、漫画、アニメ、映画、歌など活動は大きく広がっていった。

富澤から、普通の会社員から突然人気者になった感覚を聞かれると、「いやでもね、ずっと会社員の感覚のまんまなんすよ」と回答。

「だから仕事の一環としていろんなことを、何ちゅうんだろうな、操り人形みたいな。竜巻の中心地に私がいて、周りがなんかみんな騒いでるなっていう感覚」と、ブームの真っただ中にいながらも自身の意識は変わらなかったと振り返る。

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■テレビ出演も全国キャラバンも「給料」

狩野が「その時は社員なんで普通に給料制ですか?」と尋ねると、高橋名人は「給料ですね。『高橋名人の冒険島』も手当とかなかった。全国キャラバン行っても給料ですよ」と即答した。

富澤から「テレビ出たら、さすがに?」と聞かれても、「いや給料です」と高橋名人。宣伝担当者としては、テレビに長時間出演して商品を紹介できること自体が大きなメリットだったとして、「例えばテレビで10分間とか15分間のコーナーいただくと、15分間だと30秒CMが30本分なんすよ。それめちゃくちゃ効率良い宣伝じゃないですか。だから担当者としては最高なんです」と語る。

一方で現在になって当時の報酬について聞かれる機会も増えたといい、「でも今振り返って、みんなからこういう質問来るでしょ? そしたら、もらっとけばよかったかなって。ちょっとだけは寂しいかな」と笑っていた。


■執筆者プロフィール

びやじま。フリーライター/エディター。月100時間、30番組を聴く深夜ラジオのヘビーリスナーで、2016年からSirabeeに参画。現在はラジオを中心にした芸能エンタメを中心に月40本程度を執筆中。

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(文/Sirabee 編集部・びやじま)

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