『豊臣兄弟!』秀吉と明智、最期の密会後の“考察合戦”が白熱 要潤も「出ていったあと…」

本能寺の変で織田信長(小栗旬)を討った明智光秀(要潤)。秀吉(池松壮亮)は逃げる光秀との対話を望み…。

2026/07/30 16:45

■「光秀の死」考察合戦に

この秀吉と光秀の最期の密会に、SNSでは大きな反響が起きている。

「秀吉と光秀の最後の密会は良かったな…最後は史実通りに辻褄合わせになったな」「これまでに無い、明智殿の尊厳を守った最期だったな。信長が作る世を一度は信じようとしたが信じきれず、公方様だけを慕いお仕えしたかった一途な光秀」「光秀の最期をこうするのかと、義昭への忠義を優先させた光秀は歴代光秀の中でも好きだなぁ」といった声が寄せられていた。

また光秀の最期をあえて描かなかったことから、「あの後、光秀はどうなったのか!?」「秀吉の介錯で切腹した」「秀吉の毒入り茶を飲んで死んだ(太平記ルート)」「死んだことにして秘かに見逃した(麒麟ルート)」などと密会後を考察する視聴者の声も。

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■インタビューでは…

光秀を演じた要は、ニュースメディアのインタビューで「秀吉が出ていった後、自害したんじゃないかなと僕自身は解釈しています」と発言。また自身のSNSでは「明智光秀さま、本当にありがとうございました。深く深く心より感謝します。引き続き豊臣兄弟をお楽しみに」と光秀への感謝の想いを綴っていた。

史実では、秀吉の発言通り「敗走中に百姓の落ち武者狩りに遭った」とされている一方、「じつは光秀は生きていて、天海と名を変えて徳川家康の天下統一を助けた」との生存説も根強く囁かれている。

徳川家に3代にわたって仕えた高僧・南光坊天海は、秀吉の死後に突如歴史の表舞台にあらわれ、前半生や素性・経歴がはっきりとしていない。さらに「明智」や光秀に関わる逸話が多く残されているため、生き延びた光秀ではないかとの「俗説」が世に広まったようだ。

『豊臣兄弟!』での光秀は本当に退場したのか、天海としての再登場はあるのか、歴史ファンも気になっているだろう。

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