20代半ばで阪神入団の能見篤史氏、高卒でプロ入りしなかった“本当の理由” 「広島ってやばいんだ…」
社会人野球時代は怪我に苦しんだ元阪神の能見篤史氏。監督面談では、「来年もし怪我でダメなら、野球は終わり」と通告が。
2026/05/19 07:00
■広島から3位指名打診も…
じつは高校時代、広島東洋カープからドラフト3位指名の打診があった。
しかし、元広島投手の川口和久氏が高校に講演に来た際、「プロの練習についていけなかった」という話をしていて、能見氏は「地獄のような…。広島ってやばいんだなと。練習がきつそうだから、広島に行くのは無理だな」と尻込みしてしまったのが本音だったと話した。
大学への進学も、1年生からの厳しい上下関係を4年間耐える自信がなかったため選択肢から外していたという。
関連記事:【オリ熱イズム2024】オリックスが能見篤史臨時コーチの就任を発表 「能見選手のようになりたい」曽谷龍平への指導に期待
■「来年もし怪我でダメなら、野球は終わり」
高校卒業後、大阪ガスで7年間プレーした後にプロ入り。一般的な「2〜3年でプロへ」という流れに比べて異例の長さだった。
当時の社会人野球は金属バットを使用していたため、少々芯を外しても打球が飛んでいく。そのためワン1死を取るのすら容易ではなく、際どいコースを狙いすぎて自滅する日々。2年目以降は肩や肘などの怪我に苦しみ、5年目の終わりの監督面談では、「来年もし怪我でダメなら、野球は終わり。社員として(働いてもらう)」と通告を受けた。
■吹っ切れた6年目、そして阪神へ
能見氏は「どうせなら貢献して終わろう」と完全に吹っ切れる。すると、痛みをこらえて無理やり投げ込んでいるうちに、「良い投げ方」へと変貌を遂げた。
6年目にようやく怪我が癒えて大事な大会で投げられるようになり、7年目にプロを意識するように。そして2004年のドラフト自由獲得枠で阪神に入団したと説明した。
痛みをこらえて投げるうちに理想のフォームに辿り着いたというエピソードは、まさに怪我の功名であり、執念の賜物。若くしてプロで活躍する選手も魅力的だが、こうした社会人の地獄を見てきた苦労人がプロで大花を咲かせる姿には、独特の美しさと応援したくなる魅力が詰まっている。





