中田翔氏、左膝手術後に「君終わるよ」「有名なのは甲子園での名前」 プロ人生に火をつけた人物告白
「見とけよこいつら」と中田翔氏が猛練習するきっかけになった出来事。プロ入り後、思うような成績が残せないなか…。
2026/07/06 08:30
■球団本部長から厳しい言葉
大阪桐蔭高校時代、甲子園を沸かせた怪物として鳴り物入りで日本ハムに入団した中田氏。2年目まで思うような成績が残せないなか、意識が大きく変わったのはプロ3年目、左膝の手術を受けて入院生活を送っていたときのこと。
お見舞いに訪れた当時の球団本部長が「このままだったら君は、本当に終わるよ」と冷徹な現実を突きつけてきた。
さらに、中田氏の横で母親が涙を流して聞いているのも関わらず、「中田翔って確かに有名だよ。でも、その有名なのは甲子園での名前だから。プロで中田翔なんて知らない人、ごまんといる。知らないという人のほうが多い」と続けたという。
■「見とけよこいつら」と猛練習
厳しい言葉だったが、「そこで一気にスイッチが入って。見とけよこいつらと思って」と、悔しさと怒りが原動力になったと語る。
退院後、中田氏の行動は一変した。それまで以上に他人の打撃映像を貪るように見つめ、夜中には寮長から室内練習場の鍵を借り受けた。他の選手に練習していることがバレないよう、広大な練習場のライトを1箇所だけ点灯させ、深夜までひたすらバットを振り込む猛練習を自らに課した。
「今思えば、あの本部長の言葉がなければそこまでスイッチが入っていなかった可能性もある。だから今となってはすごく感謝している」と話す。
■エース投手から本塁打を連発
この猛練習は、すぐに結果として結実する。1軍に昇格した中田氏は、当時のパ・リーグを代表する錚々たるエースたちから本塁打を連発。「エース級の方々からホームランを連発して打てた。その辺からちょっと自信がついてきた」と、名実ともに「プロの中田翔」としての地位を確立していった。
厳しくも支えてくれた人々への感謝を口にした中田氏。当時の愛のムチが、頼れるスラッガー・中田翔の礎となっていた。





