サンドウィッチマン「もういいぜ」の原点は中田ボタンさん 25年以上前から憧れた漫才師
休養中の伊達みきおが、中田ボタンさんとの25年以上にわたる思い出を手紙につづった。

26日放送の『サンドウィッチマン ザ・ラジオショー サタデー』(ニッポン放送)に、お笑いコンビ・サンドウィッチマンの富澤たけしと、助っ人MCを務めたタレントの狩野英孝が出演。伊達みきおから届いた手紙を通じ、14日に78歳で亡くなった漫才師・中田ボタンさんを追悼した。
■売れる前から25年以上の縁
伊達は手紙で、「じつはご縁があり25年以上前、まだ我々が世に出る前から可愛がってくださった師匠でした」と、ボタンさんとの長い付き合いを回想した。
富澤によると、当時サンドウィッチマンが所属していた事務所のようなところの代表を、ボタンさんの弟子が務めていたことが出会いのきっかけ。「それで会わせていただいたりした」といい、中田カウス・ボタンの舞台を何度も見学させてもらったほか、東京や大阪で食事をごちそうになったという。
中田カウス・ボタンは1960年代から活躍し、上方漫才大賞を3度受賞したベテランコンビ。まだ無名だった2人にとって、ボタンさんは文字通り憧れの漫才師だった。
■20万円を出して「ごちそうさん」
伊達の記憶に強く残っていたのが、東京でボタンさんと食事をしたときのこと。
ボタンさんは舞台で東京の客を沸かせたあと、赤坂の高級天ぷら店へ4人で食事に行き、会計になると「分厚い財布から1万円札を20枚」取り出して支払い。さらに伊達と富澤にも1万円ずつ小遣いを渡し、そのまま颯爽と大阪へ帰っていったという。
その姿に伊達は「あまりにかっこよくて、『将来はボタン師匠みたいにかっこいい漫才師になりたい』と思いました」と振り返った。
売れる前の自分たちを食事へ連れて行き、豪快に振る舞う。伊達にとってボタンさんは、漫才だけでなく“漫才師としての格好よさ”まで教えてくれた存在だったようだ。
■「もうええわ」から生まれた「もういいぜ」
そして現在まで残っている影響が、サンドウィッチマンの漫才を締めるおなじみの「もういいぜ」だ。
伊達は、ボタンさんが漫才の最後に放つ「もうええわ」の言い方に憧れたことから、「我々サンドウィッチマンの漫才の最後『もういいぜ』を作った」と明かした。このエピソードは2人が以前から語っており、ボタンさんのツッコミや漫才の終わらせ方を何度も見ていたという。
狩野から思い出を聞かれた富澤も「本当かっこよかったですね」としみじみ。一方で「『もういいぜ』考えたの僕ですからね、本当は」と、最後はしっかり自身の功績も付け加え、ボタンさんへの憧れを語っていた。
■執筆者プロフィール
びやじま。フリーライター/エディター。月100時間、30番組を聴く深夜ラジオのヘビーリスナーで、2016年からSirabeeに参画。現在はラジオを中心にした芸能エンタメを中心に月40本程度を執筆中。
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(文/Sirabee 編集部・びやじま)




