衝撃の“2対1トレード” 元西武選手が明かす発表当日の裏側 「部屋に閉じ込められて…」

球団から「トレードはない」と断言され契約更改したが、急転。「トレードの話があるかもしれない。1週間で答えが出る」と告げられ…。

■「トレードはない」から一転「あるかも」

1985年1月、プロ野球界に衝撃が走った。中日ドラゴンズのスター選手だった田尾氏、西武の杉本氏と大石友好氏による複数トレードだ。

「(中日の)大島(康徳)さんとのトレードっていううわさ」を前年12月から耳にしていた杉本氏。球団からは「トレードはない」と断言され、契約更改したが、年明け1月の合同自主トレ中に事態は急転。球団代表から「トレードの話があるかもしれない。1週間で答えが出る」と告げられた。

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■2人で部屋に閉じ込められ…

正式決定の前夜、新聞記者から電話で「中日の田尾さんとですよ」とフライングで知らされ、初めてトレード相手を知る。

そして当日の様子について「『グラウンドに出なくていいから中に入っとけ』と言われて。僕と大石さんは部屋に閉じ込められて。その間にトレードが決まった」。

決定後、球団からは「すぐに名古屋へ行け」との指示。大石氏と2人で名古屋に向かったという。

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■誕生日に移籍後初勝利

人気絶頂だった田尾氏を放出した球団へのファンの怒り、そして新戦力への厳しい視線に怯えた杉本氏は「田尾さんという存在があまりにも大きかった。ファンの方から『田尾を出して何で?』と思われたらどうしようと。だから必死でした」と回顧。そんなプレッシャーのなか、自身の誕生日の5月3日に移籍後初勝利を掴み取り、「それがうれしかった」と懐かしんだ。

その後、杉本氏は中日の先発投手として在籍5年で39勝、大石氏は当時中日のリリーフエースだった郭源治のリリーフキャッチャーとして活躍しリーグ優勝に貢献している。

トレードはないと断言されながら、舌の根も乾かぬうちに放出される。そんな理不尽がまかり通った昭和プロ野球の激しさに、筆者は驚かされた。組織の駒として扱われる非情さと、その中で生き抜くプロの覚悟が凝縮されているエピソードだった。

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