実は品川区にある目黒駅、品川区は「目黒住民の反対に遭った」と説明するも… 目黒区は「根拠が無い」

8割もの人が「目黒駅は目黒区内にある」と、誤解していると判明。品川区にある理由を、同区は「目黒住民の反対に遭った」とするが、目黒区は「反対運動の根拠は見つからない」と、説明する。

2025/10/27 04:45

■目黒区「反対運動の根拠、見つからない」

目黒区「めぐろ歴史資料館」の担当者は「目黒駅が目黒区でなく、品川区に設置された理由については『よく分からない』のが実状です」と説明する。

身も蓋もない回答に、思わずズッコケそうになってしまったが、そもそも目黒区は「(当時の)目黒の住民から反対があった」という説に、懐疑的であるようだ。担当者は「よく分からない」根拠として、4つの観点から事情を説明する。

目黒駅
Photo:秋山はじめ/Sirabee編集部

まずは「当時の目黒や日本における様相から」という点。

担当者は「戦前から1970年代頃の歴史書には、確かに『下目黒や桐ケ谷の住人の反対に遭い、現在のルートになった』旨の記載があります」と、認める。

しかし、その根拠となる資料(反対陳情書や、反対運動で使ったのぼりなど)は、現時点で見つかっていないというのだ。

また、当時の様子を直接伝え聞いた人物からは「反対運動があったこと自体を知らない」という証言が多く寄せられており、1962年(昭和37年)に目黒区郷土研究会より発行された資料『郷土目黒 No.6』にも、同様の記載が確認できる。

加えて、担当者は「同駅が建設された1880年代は鉄道が開業してから約10年経過しており、この時代には鉄道の有効性(特に経済的・軍事的なもの)は時の有力者たちに認められていたので、こうした時流から逆行するのにはそれ相応の理由があるが、現状そうした理由は見つかっていません」と説明していた。

また、当時の新聞記事を参照し、「下目黒で大々的な鉄道敷設反対運動があった、という記事は見当たりませんでした」とも振り返っている。

ちなみに、全国的に見ても「鉄道反対の陳情書」というのは、資料として現存しているものが少なく、現状では「参宮鉄道」程度しか見つかっていないという。なお、鉄道建設推進の陳情書は多く見つかっているそうだ。

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■目黒駅は品川区に建てた方が「合理的」?

1965年(昭和40年)の目黒駅ホーム
画像提供:しながわWEB写真館(品川区)

また、目黒区は「目黒駅を品川区(現在の場所)に建てた方が合理的であった」とも指摘している。

その根拠となるのが、2つ目の「当時の鉄道技術の理由から」という点。明治当時、日本の鉄道技術は発展途上であり、急坂や市街地に線路を敷設する技術も未発達であった。

そのため、渋谷から下目黒附近を通過し、大崎・品川方面へ至る路線を敷設する場合、台地から川沿いに下りてまた登るルートとなり、坂に線路を敷設することになってしまう。

また、住宅がそれなりに建っている地域に鉄道を通す際、現在では高架線や地下線で通すが、当時はそういった技術が無いため、明治時代には「可能な限り住宅地を避けるように建設する」ことで解決を図っていたのだ。このことから、現在の「台地を走行するルート」になったと考えられる。

1965年(昭和40年)の目黒駅周辺
画像提供:しながわWEB写真館(品川区)

そして、3つ目の「当時の鉄道における採算的問題から」という点。

1880年代当時の情勢について、資料館の担当者は「日本国内に鉄道が開業してから10年以上経過し、人々に有効性が広まっていたとはいえ、建設予算は抑えたいのが当時の鉄道事業者です。そのため、鉄道のルートは可能な限り迂回せず、真っすぐに引きたいのが実状です」と、分析する。

現在の渋谷~恵比寿~目黒(上大崎)~五反田~大崎のルートではなく、渋谷~目黒(下目黒)~大崎のルートを採用した場合、約1kmの遠回りとなり、建設費もその分増えてしまうのだ。

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■昔の駅の住所は「品川」ですらなかった

目黒駅周辺(時期不明)
画像提供:しながわWEB写真館(品川区)

そして最後、4つ目が「当時の区割りから」の判断である。

現在の目黒区や品川区は当時「荏原郡」に属しており、現在のような区割りとなっていたワケではない。そのため現在の目黒駅の所在地は、当時は「荏原郡上大崎村」であり、「目黒」どころか「品川」も含んでいない住所だったのだ。

担当者は「当時、江戸時代からの名所である近隣の『目黒不動尊』に近い駅であったことから、『目黒駅』という名前になったのではないかと思われます」と、分析していた。

上記4点を踏まえ、資料館の担当者は「目黒駅が現在の目黒区内にない理由について『現状は分からないのが実状』であり、『極端な反対があったかは疑わしい』程度に留めるしかないのが、目黒区としての見解です」と、念を押している。

確かに、これらの点を考慮すると、単に「住民からの反対に遭ったから」ではなく、「その方が合理的だから」という理由で目黒駅は現在の品川区に建てられた、という仮説は筋が通っているように感じられた。

1984年(昭和59年)の目黒駅前
画像提供:しながわWEB写真館(品川区)

東京が現在の23区として再編されたのが、1947年(昭和22年)のこと。しかし、「目黒」や「品川」という地名はそれよりも遥か以前に存在していた。

2008年の目黒駅
画像提供:しながわWEB写真館(品川区)

明治時代に命名された駅名を「現在の東京23区」の観点から見てしまうと、少なからず違和感を覚えてしまうのだろう。


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■執筆者プロフィール

秋山はじめ:1989年生まれ。『Sirabee』編集部取材担当サブデスク。

新卒入社した三菱電機グループのIT企業で営業職を経験の後、ブラックすぎる編集プロダクションに入社。生と死の狭間で唯一無二のライティングスキルを会得し、退職後は未払い残業代に利息を乗せて回収に成功。以降はSirabee編集部にて、その企画力・機動力を活かして邁進中。

X(旧・ツイッター)を中心にSNSでバズった投稿に関する深掘り取材記事を、年間400件以上担当。道路や鉄道ネタに関する取材で、国土交通省や都道府県警、全国の道路事務所や鉄道会社に太いパイプを持つ。

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(取材・文/Sirabee 編集部・秋山 はじめ

【調査概要】
方法:インターネットリサーチ
調査期間:2025年9月8日~2025年9月11日
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