古田敦也氏、谷繁元信氏と選手兼監督の難しさを語る 「代打オレって言ったら…」
古田敦也氏と谷繁元信氏がプレイングマネージャーの悩みやプロ野球の監督についてトーク。大変だったことは…。
■選手兼監督の難しさをトーク
プレイングマネージャーを経験した古田氏と谷繁氏が監督論などをトークした今回の動画。
古田氏からプレイングマネージャーの「大変さ」を質問された谷繁氏は「もう、ほぼ終わりかけだったじゃないですか 。終わりかけって、自分が出る出ないがまずきつかったんですよ。自分がもっと元気だったら試合に出て、『こうやってやっていこう』というのが、たぶんできたと思うんですけど、そこの葛藤もあった」と語った。
■「代打オレ」は客対策
さらに谷繁氏は「選手と監督、両方の準備をしなきゃいけないっていう、仕事量の多さというところもやっぱりきつかったし。身体的にも44、45の年なので自分が思っているよりも、疲れが取りにくくなっていたんで、そのへんがやっぱりしんどかったです」と話す。
古田氏も話に同調すると「もう監督をやった時点で後任探しというか。俺が16年間ほぼほぼ試合に出ていたから、後釜が誰もいませんって言われたんで、1番の仕事はそれだと思っていたんで、極力出ないようにして。若い選手を使って」と振り返る。
続けて「でも、出ろって言われるのよ、負けるから。そこで考えたのが代打オレだったのよ。代打オレって言ったら沸くからさ。お客さん対策もある。エンタメだからね、野球は」と語った。
■監督は「いろいろ気を使う」
「代打オレ」のエピソードを語った古田氏は「いろいろ気をつかわなければいけないことがあるなあ、監督の仕事ってね。プロの監督ってなんかすごい、男の職業のうらやましいといわれる1番だといわれるけどプロ野球の監督で意外にもうケアするっていうか 、気をつかわないといけないことが多い」と語る。
すると谷繁氏が「そこに選手という僕らは肩書きがついてたから余計にそういう感じになったんじゃないですかね、僕はそう思うんですけど」と指摘。
話を聞いた古田氏は「これはね、キャラなんだよ。おまえのキャラならいけるんだよ、『痛い痛い言うてるな、ボケ』って言える」と笑った。
■谷繁氏は苦笑い
苦笑いの谷繁氏は「自分が選手としてやっているときだったら、それでやってました、正直ね」と明かす。
そして「選手じゃなくなって、いざ専任で半年やって、成績が良くなかったんで途中でクビになりましたけど、そのあと、外に出ていろいろ見るようになってからっていうのは 、そこの部分は今のところ消えているなっていう」とコメントしていた。
日本のプロ野球界で「選手兼監督」を務めた人物はプロ野球黎明期から昭和40年代を中心に複数人存在。なかでも「代打ワシ」で逆転サヨナラ満塁ホームランを打った阪神の藤村富美男氏や南海の野村克也氏が有名だ。
平成以降で選手兼監督を務めたのは、古田氏と谷繁氏のみとなっている。