博多大吉が福岡時代に1年間休業した衝撃理由 「逃亡者みたいな生活をして」
『あちこちオードリー』で、博多大吉が「若手時代の1年間の休業騒動」の真相を赤裸々に語った。
■若くしてブレイク
華大の33年間を振り返っていったこの日。大学時代に出会いコンビを結成、福岡で活躍し上京、現在の活躍に至る経緯が語られていく。
福岡に吉本興業が進出、福岡吉本の1期生だった華大は21~22歳、デビューから2~3年で大ブレイクを果たす。しかし27歳のころには状況が一変、大吉は「人気も長くは続かないのよ、腕もないし」と一気に人気に陰りが出てきたと明かした。
■福岡吉本とテレビ局が…
そのころバラエティ番組『進め!電波少年』(日本テレビ系)で「海外に芸人が行く企画」が大ブームだったため、「なにか起爆剤がいるな」と考えた大吉はスタッフと相談して「僕が1年間アメリカに行く」と決めたという。
当時は福岡吉本の所長とテレビ局が不仲で双方の意思疎通ができていない時期で、華大が福岡吉本を通さず、直接テレビ局スタッフと仕事のやりとりをしていた。
この企画についても所長はなにも知らず、生放送で大吉が「企画でアメリカに1年間行く」と発表すると、所長が激怒してテレビ局に乗り込んできて「そっからものスゴいこじれて」しまったという。
■逃亡者のような生活
この企画、大吉の発言をきっかけに揉めに揉めてMCだった番組枠が消滅。生放送で「アメリカに行ってきます」と発表したものの、当時は当然ながらSNSもなく「企画がなくなった」事情を説明する場も用意できなかった。
改めて「アメリカに行きたいのか」を福岡吉本に確認された大吉は、本当は行きたくなかったが企画を考えたテレビ局スタッフに申し訳ないと考え「行きたい」と伝える。
すると「わかった。吉本が行かしたるから、4月から家で待っとけ」と自宅待機を指示されたが、待てど暮らせど、なんの連絡もなかったと大吉は苦笑。「どんどんお金もなくなって、ずっと家に閉じこもって。だってほら、街歩いたら顔は有名人だからバレるから。逃亡者みたいな生活をして」「ツラかったね、なんしていいかわからんしね」と当時の心境を語った。
■復帰が決まり慌てて…
そうして1年が経ち、福岡吉本から突然「春から復帰せぇ」と声をかけられた大吉。
アメリカ行きも実現しておらず「このままじゃ復帰できないですよ」とさすがに不満をぶつけると、「とりあえず海外行け」とその場のノリで「40日間のインド旅行」が決定。それをもって「海外で修行しました」とし、復帰したと苦々しく解説し笑いを誘った。
大吉の1年間の休業に隠された裏話に当時を知る視聴者が反応。「大吉さんの休業時代はいろんな噂が飛び交ったなー」「大吉先生の福岡時代謎の1年休業の詳細聞けてテンション上がった」「昔から不思議だったインド行きの経緯、やっとわかった。すごい」といった驚きの声が殺到している。
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(文/Sirabee 編集部・サバマサシ)