森田剛らが『アナウンサーたちの戦争(仮)』で熱演 声の力「電波戦」の真実
8月14日放送『アナウンサーたちの戦争(仮)』。森田剛、安田顕らの熱演にもう1つの戦いがよみがえる。
■もう1つの戦い「電波戦」
太平洋戦争では、日本軍の戦いをもう1つの戦いが支えていた。ラジオ放送による「電波戦」。ナチスのプロパガンダ戦に倣い「声の力」で戦意高揚・国威発揚を図り、偽情報で敵を混乱させた。行ったのは日本放送協会とそのアナウンサーたち。
戦時中の彼らの活動が事実を元にドラマとしてよみがえり、放送と戦争の知られざる関わりが描かれる。
■天才と呼ばれたアナウンサー
国民にとって太平洋戦争はラジオの開戦ニュースで始まり玉音放送で終わった。奇しくも両方に関わったのが天才と呼ばれた和田信賢アナ(森田剛)と新進気鋭の館野守男アナ(高良健吾)。
1941年12月8日、大本営からの開戦の第一報を和田が受け、それを館野が力強く読み、国民を熱狂させた。以後、和田も館野も緒戦の勝利を力強く伝え続け国民の戦意を高揚させた。同僚アナたちは南方占領地に開設した放送局に次々と赴任し、現地の日本化を進めた。
和田の恩人・米良忠麿アナ(安田顕)も“電波戦士”として前線のマニラ放送局に派遣される。一方、新人女性アナウンサーの実枝子(橋本愛)は、雄々しい放送を求める軍や情報局の圧力で活躍の場を奪われる。
■戦況悪化のなかの衝突
やがて戦況悪化のなか、大本営発表を疑問視し始めた和田と「国家の宣伝者」を自認する館野は伝え方をめぐって激しく衝突する。出陣学徒を勇ましく送り出す実況を任され、ただ苦悩する和田を、妻となった実枝子が叱咤し目覚めさせる。
そして館野もインパール作戦の最前線に派遣され戦争の現実を自ら知ることになる。戦争末期、マニラでは最後の放送を終えた米良に米軍機が迫る。そして戦争終結に向け動きだした和田たちにも銃口が迫る。
■「言葉には力がある。だからこそ…」
和田は、戦前から全国的人気があった伝説のアナウンサー。1934年日本放送協会に入局。相撲や野球の実況放送、ニュース、朗読、演芸番組など幅広い分野で活躍し“不世出の天才”と呼ばれた。
太平洋戦争では、開戦の臨時ニュースと終戦の玉音放送の両方に携わり、戦後、ヘルシンキ五輪実況後に客死。
和田を演じた森田のコメントを紹介。
森田:言葉には力がある。だからこそ、人間は難しい。撮影中そんなことを考えていました。和田信賢さんのセリフで、「信用のない言葉ほど惨めなものはない」という言葉に惹かれました。
純粋で、繊細で、まっすぐで、優しくて、弱い、そんな人物を演じていた期間は、とても誇らしかったです。