川淵三郎氏、「Jリーグ」創設前夜の苦労話明かす 大勢の選手にプロ契約を拒否され…
Jリーグの生みの親である初代チェアマン・川淵三郎氏。Jリーグ創設30周年記念イベントで、当時の苦労話を次々明かした。
■じつは緊張していた開幕セレモニー
1993年5月15日、横浜マリノス対ヴェルディ川崎の神奈川ダービーで幕を開けたJリーグ。試合前の開幕セレモニーで「スポーツを愛する多くの皆様に支えられまして、Jリーグは今日、ここに大きな夢の実現に向かってその第一歩を踏み出します」と堂々たるスピーチを行ったのが川淵氏だった。
現チェアマンの野々村芳和氏と対談する形で1993年を振り返り、「素晴らしいスタートが切れて『大成功!』という気持ちでいっぱいでした。あまり緊張しなかった記憶がありましたが、いま映像を見てみると少し声が震えているね(笑)。だから緊張していたんだと思います」と苦笑していた。
■「プロ野球」一強の逆風の中…
当時のプロスポーツといえばプロ野球。今では全国に60クラブが生まれ地域発展にも貢献しているが、その頃は「日本にサッカーは根付かない」という辛辣な声も少なくなかった。
「僕もそう思っていましたから。30年も続くとは思っていなかったんです。でもサポーターがいたから、ここまでリーグが成長しクラブが発展した。クラブが地域の発展に繋がり、そして地域の誇りになるということが理解されたから、ここまで伸びたのだと思います」とも回顧する。
■「プロ契約」を警戒した選手たち
いまではサッカー少年たちの憧れの場であるJリーグだが、リーグ創設前夜は状況がだいぶ違ったようだ。当時、川淵氏は選手のプロ契約を推し進めたが拒否する選手が多く…。
「社員として働くほうがよっぽど安定しているからね。だから最初は『うまくいくかわからないから』とプロ契約する選手が少なかったんです。でもカズ(三浦知良)が1億円を突破した時は、プロ野球にもそんなに1億円プレイヤーはいなかったはず。プロ野球側もサッカーの影響で高年俸がもらえるようになったんじゃないか」と持論も明かす。
その上で、「僕は野球とサッカーを比較するんじゃなくて、一緒に発展するべきと思っていた。プロスポーツ歴を考えるとプロ野球を追い越すなんてとんでもないと感じていました。でもマスコミは面白おかしく比較したり、たきつける一方だったけどね(笑)」と微笑んだ。
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(取材・文/Sirabee 編集部・キモカメコ 佐藤)