タモリ、朝鮮と国交回復を目指す宗氏の“作戦”に驚き 「大胆だね~!」
朝鮮から「国書を日本から先に送ること」を国交回復の条件に出された宗氏。すると宗氏は大胆な行動に…。
■対馬に絶体絶命のピンチが
前回同様に「日本史最前線! 国境の島が果たした役割とは?」というテーマの今回は、古くから「国境の島」である対馬が、日本の歴史にとってどんな役割を果たしたのかを解き明かすことに。
そうしたなかでは、安土桃山時代に豊臣秀吉が明(中国)の征服をもくろみ、2度にわたって日本の軍勢が朝鮮へ攻め込んだ「朝鮮出兵」以降、朝鮮との国交が断絶されたことが明らかに。さらにその当時は、朝鮮との交易で生計を立てていた対馬の人々が絶体絶命の大ピンチを迎えたそう。
■「何とかうやむやにできないか」
なお、このとき対馬を治めていた宗義智という人物は、国交回復を目指し、日本の窓口として朝鮮との交渉を重ねていた。だが朝鮮側は「国書を日本から先に送ること」を国交回復の条件として出してきたそうで、これは日本が自らの非を認めたことを意味する。
そして、秀吉の後に天下をとった徳川家康はこれに応じなかったとのこと。一方、これを聞いていたタモリは笑いながら「『何とかうやむやにできないか』というようなことを考えますわね、私だったらね」と話し、宗義智の気持ちを考える。