詐欺防止ポスターに出現した偉人、何かがおかしい… 「謎の説得力」にツッコミ相次ぐ
とある空港で目撃した詐欺防止のポスター。その内容を受け「お前が言うんかい!」とツッコミの声が寄せられているのだ。
社会人として生きていく上では、たとえ自分自身も完璧にこなせていない事柄でも、間違ったことをしている相手に指摘しなければならない瞬間が訪れるもの。
あまりに普段の言動とのズレが大きい場合は「お前が言うんかい!」と心の底で突っ込まれている可能性もあるが、以前ツイッター上では、日本人なら誰もが知っている「あの大物」に対して壮大なツッコミが寄せられていたのをご存知だろうか。
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■「現金手渡し詐欺」に吠える人物は…
2月某日、日本各地で生きる人々の生活や昔の記憶、伝承などを記録して著作にまとめている紀行写真家・道民の人さんは「福井藩主から数千両の借金踏み倒した男がなんか言ってる」と、何やら意味深な一文をつづったツイートを投稿。
写真には「現金手渡し詐欺にご注意」と書かれた横長のポスターが一枚写っており、地元の警察署が掲出したようなのだが…ポスター内で「現金手渡しかよ!」「そりゃあ騙されちゃあせんかよ!」と注意喚起している男性の姿が、どう見ても幕末の土佐藩士・坂本龍馬その人だったのである。
■ツッコミ相次いだ理由に納得
龍馬といえば現代でも非常にファンが多い、日本が誇る歴史上の偉人の一人。犬猿の仲であった薩摩藩と長州藩の仲介役として「薩長同盟」の立役者となったことは社会科の教科書にも記されているが、学生時代の授業内容を忘れてしまった人でも、刀を腰にさして遠くを見つめた顔つきの写真は記憶に残っていることだろう。
しかし、これは龍馬だけに限った話ではないが、歴史上の人物の行ないというのは、教科書に書かれていることだけが全てではない。
「日本銀行 高知支店」の公式HPでは「1863年5月(龍馬29歳)、幕府軍艦奉行並・勝海舟は、神戸に幕府の海軍の人材育成を行なう海軍操練所を開設することを将軍・家茂への直談判により許可されました」「資金3千両も幕府から出資されましたが、これに先立ち、私塾を開くことも許されました。これが操練所の前身となる神戸海軍塾です」と、幕末の動乱期における龍馬と勝海舟のエピソードについてつづっている。
その際、海舟は塾の資金調達のため龍馬を越前(福井)へ派遣し、以前から親交のあった越前福井藩主・松平春嶽から5千両を借りることに成功。翌1864年5月に幕府は海軍操練所を開設するも、同年に起こった「池田屋事件」「禁門の変」が原因となり、操練所は廃止となってしまう。
そして1867年には龍馬が暗殺され、江戸幕府も「大政奉還」により、250年以上に渡る長き歴史に終止符を打ったわけだが…ここで気になるのが、龍馬が借りた現代価値に換算して11億円とも言われる大金のその後である。
いずれも詳しい資料がないのだが「踏み倒した」という説が濃厚であり、そうした事情があってツイート投稿主・道民の人さんは龍馬が「現金手渡し詐欺」の注意喚起をしている件のポスターに違和感を抱いたのだ。こちらのツイートは多くの人々に衝撃を与えており、8日時点で1万件近くものRTを記録するほど大きな話題に。
なお、龍馬にはこの他にも「いろは丸沈没事件」における賠償金など金銭にまつわる逸話が多く残っており、こちらの背景もあってか他のユーザーからは「岩崎弥太郎が小言の一つも言いそうなポスターですね」「龍馬、お主も悪よのぉ…」「色々あったから、逆に説得力あるのでは…?」といったツッコミの声が多数寄せられていた。
果たして、件のポスターはどのような経緯で生まれたのか…。また、龍馬が借用したお金は結局、どうなってしまったのか…。これらの疑問をめぐり、ポスターを掲出した「南国警察署」、龍馬の経歴に精通した「高知県立坂本龍馬記念館」、かつて福井藩が存在した福井県の「福井市郷土歴史博物館」に詳しい話を聞いたところ、歴史の重みを感じさせる「素晴らしいエピソード」が多数明らかになったのだ…。