IOC会長の「少しの犠牲を」発言は切り取り報道か… 過去に繰り返したことで本音説も
バッハIOC会長の発言でネットが炎上。誤解を与える報道だとしても、これまでに二度「犠牲を」と発言していた。
東京五輪・パラリンピックの開催について、強行突破の姿勢を崩さない国際オリンピック委員会(IOC)。22日の国際ホッケー連盟(以下IHF)とのオンライン会議で、トーマス・バッハ会長の「アスリートが夢を叶えるためにも、東京五輪の開催には少しの犠牲を払わなければ」というメッセージが紹介されたとして話題になっている。
インドのメディアによる印象操作を狙った報道とみることもできそうだが、バッハ会長はこれまでも「犠牲を払う精神が大事」と度々発言していた。それが本音なのか…。
■「犠牲を払う」という気持ち
日本で大きく報じられた、バッハ会長による「我々は少しの犠牲を払う必要がある」発言。新型コロナウイルスの感染爆発があろうとも東京五輪の開催は栄誉な話、国のために犠牲になれと日本人に対して思っているのだとしたら、まるで戦時中かのような発言だ。
ジョン・コーツIOC副会長とともに、歴史を持ち出しての根性論・精神論で日本人を説得しようとするバッハ会長の姿勢には批判が相次いでおり、この発言でまたしてもSNSは大炎上している。
■インドのみで拡散という謎
報道の出元はインドのPTI通信社だとされている。「some sacrifices(少しの犠牲)」という強い言葉を用いたのなら、東京五輪開催を反対する記事をたびたび掲載するイギリスのメディアが真っ先に飛びつくとみられるが、今回はインドのメディア4社ほどが同じ内容を報道するばかりだ。
IHFの会議の動画も見当たらないこともあり、バッハ会長のこの発言は、過去の記事のいわゆる「切り取り」ではないかという声もあがっている。
■「犠牲と妥協の気持ちを」
バッハ会長は、1度目の開催延期が決定した昨年3月25日、「すべての利害関係者に対し、少しの犠牲と妥協の精神を求めたい」と発言している。
さらに今年の3月20日には、海外の観客を受け入れないことが決定した際には「世界中の熱狂的な五輪ファン、アスリートやその家族、友人とともに今、我々も失望感を味わっている。すべての人が大きな犠牲を払わさせられたと感じていることだろう」「ただ当初から申し上げてきた通り、新型コロナのパンデミックにおける五輪の開催は、ある程度の犠牲を伴うものだ」と述べ、安全安心な五輪の開催に理解を求めていた。
■それが本音かも…
このたびのPTI通信の記事は、新型コロナウイルスの感染爆発になろうとも(日本人は)じっと耐えろ、アスリートのためにある程度の我慢をせよと、バッハ会長が発言したようにも受け止められる。切り取りを疑う声もあり、関係者も「誤解を与える報道だ」と反論するのかもしれない。
だが、犠牲の精神が必要だと本人が繰り返し発言してきただけに、「会長は今の日本に対し、本当にそう思っているのでは」という声は多い。この一件は、普段の物言いがこうした報道に発展するという典型例ではないだろうか。
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(文/しらべぇ編集部・浅野 ナオミ)