タレントの聖火リレーと五輪の是非 指原莉乃とロンブー田村淳の違いとは
コロナ・経済・空気、難しい判断。そして今後もこのままの状況でいられるか。
■五輪反対は感情か理性か
どんな理由であれ、国民に反対感情が強いならば、東京五輪はもう中止すべきではないかという意見もある。
しかし、長野五輪でももともとは冷めた国民感情からの熱狂へと至ったように、支配的な空気が秩序となる日本社会では、その場の空気を必ずしも絶対視すればよいというものでもない。
とはいえ五輪は、プロ野球の比ではない国内での人々の移動が生じ、コロナ禍では旅行は禁止ではないものの、タイミング次第では新型コロナの蔓延を大きく後押ししかねない。やるにせよ無観客の条件が必須で、結局は中止も一理ある。
■五輪の是非を問える平和
以上の通り、五輪開催の是非は、今のところは非常に微妙な判断となるだろう。ゆえに、聖火ランナー辞退の連鎖反応を食い止める判断を下した指原は、今後の聖火ランナーにとっても、重要な判断だったといえるかもしれない。
しかしながら、現在、コロナ禍の世界状況は、インドなどでの感染爆発が起こっており、これはこれまで被害が小さかったアジア圏においての変化であり、注目される。
これまで通りの、五輪開催の微妙な是非を問うことができるレベルのコロナ禍状況のままであってほしいものだ。
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(文/メディア評論家・宮室 信洋)