藤間爽子、3代目藤間紫を襲名 「祖母の色を壊すことなく私の色を加えていきたい」
日本舞踊家で女優の藤間爽子が祖母から3代目「藤間紫」を継承。兄の貴彦は市川猿翁から授かった「藤間翔」に改名。
■猿翁があまりに絶賛したために嫉妬?
爽子と祖母・藤間紫の間には周囲の間で有名なエピソードがあるそうで、「小学校4年生の時に歌舞伎座で『羽根の禿』を踊った時、猿翁さんが楽屋にきて『すごくよかったよ』と褒めてくれたんですが、その横に祖母もいて、私は小さかったからよく覚えてないんですけど『私が爽子くらいの年齢の時にはあんな踊りもこんな踊りも踊れていたわ!』って言っていたそうで、孫の私の前ですら舞踊家であり女優であったんだなぁと思いました」と、幼い爽子さんの才能に思わず嫉妬してしまったこともあるのだとか。
「きっと祖母が一番大好きだった猿翁さんが私を褒めたっていうのが少しこう、嫉妬なのかはわからないですけど、すごく微笑ましいエピソードだなと思います(笑)」と笑顔で語っていた。
■お喋りが大好きで優しかった祖母の思い出
そんな人間味溢れる初代藤間紫はどのような人物だったのか、家元ではなく祖母としての印象について聞かれると、貴彦さんは「稽古事では厳しかったけど 稽古が終わると本当に優しいおばあちゃん。私は甘えん坊だったものですから、ぶどうをむいてわざわざ口まで運んでくれるような祖母でした。それと、周りに歌舞伎役者も多かったものですから、割烹着を着て栄養満点の料理をふるまっていたのを覚えています」と、料理上手で優しい祖母であったと語った。
爽子さんは「とにかくお喋りが大好きで、学校帰りに稽古場に行くと、稽古が終わるとすぐにお弟子さん達とお茶菓子を食べながらお喋りをしていて、それが『紫サロン』なんて呼ばれていました(笑)。それくらい、お弟子さんたちも本当に祖母のことが大好きだったんだなって思います」と、お喋り好きな一面について語っていた。
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(取材・文/しらべぇ編集部・びやじま)