林家こん平さん死去 「大喜利」初期メンバー最後の1人として活躍
落語家の林家こん平さんが死去。ネット上にはその死を悔やむ声が続々上がっている。
長らく『笑点』(日本テレビ系)のレギュラーを務めた落語家の林家こん平さんが17日、誤嚥性肺炎のため亡くなっていたことがわかった。享年77歳。
■葬儀は近親者のみで
一般社団法人落語協会は21日、「林家こん平 訃報」というタイトルでこん平さんの悲報を掲載。
「当協会員の林家こん平(本名:笠井光男)が、令和2年12月17日(木)午後2時2分に誤嚥性肺炎の為、永眠いたしました。(77歳)葬儀は近親者のみで12月19日に執り行われました」と記した上で、新型コロナウイルスの流行が収束して以降、改めてお別れの会を開くことを明かしている。
■05年に多発性硬化症を発症
こん平さんは1943年、新潟・千谷沢村(現・長岡市小国町千谷沢)生まれ。
初代林家三平に師事し、72年に真打昇進。65年3月に放送が開始された『金曜夜席』(『笑点』の前身番組)で大喜利の初期メンバーに抜擢され、以降途中降板した時期があったものの、2004年に声帯を患うまでの間出演を続けた。
05年に多発性硬化症と診断されて以降は、リハビリを続けつつ高座に戻ることを目指していた。弟子には林家たい平、2代目林家三平ら。
■地元を愛し続けたこん平さん
『笑点』大喜利初期メンバーでは、18年7月に桂歌丸さん(享年81歳)が亡くなっている。すでに7代目立川談志さん、5代目三遊亭圓楽さん、柳亭小痴楽さん、柳家きん平さんも鬼籍に入っており、こん平さんが初期メンバーでは最後の1人だった。
番組では、新潟の民謡「佐渡おけさ」をベースにした「1、2、3チャラーン」という掛け声と、故郷「チャーザー(千谷沢)村」のエピソードなどで多くの人に笑いを与え続けてきた。
■「円楽さんや歌丸さんと…」
ネット上では「残念です。好きだったな」「復帰に向けてリハビリに励んでいたのに…」「こん平でーすが聞けないのね」「新潟のスーパースター」と偉大な落語家の死を悔やむ声が次々と上っている。
「もう笑点初回から出演したメンバーはこの世にはいないということか」「先代円楽さんや歌丸さんと仲良くやってるといいな…」とつぶやくファンの声もあった。
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(文/しらべぇ編集部・キモカメコ 佐藤)