「月経関連疾患をライフワークに」 教育制度改革に挑む宮川典子政務官に聞く
英語教師から松下政経塾を経て、30歳のときに初立候補。
■山梨の政治スタイルを変える
山梨県といえば、かつては「ドン」とも呼ばれ、自由民主党副総裁を務めた金丸信氏や、堀内派の領袖・堀内光雄元総務会長など、大物議員を輩出してきた土地柄。若い女性の政界進出には、一部に批判的な声もあったという。
宮川:女性が自民党から国政選挙に立候補するのは、私が県内で初めてだったんです。30歳になりたてというのも珍しかったと思います。貯金もほとんどなかった私に、「お前の家を売ったらどれくらいの金になるんだ?」なんて聞かれたりもしました。
でも、そんな山梨の政治のスタイルを私たちの世代で変えたかった。トップダウンではなくボトムアップで、物を配ったりお金を配ったり、当たり前のようにルールを破る選挙のあり方を。
初チャレンジは残念ながら落選してしまいましたが、そのすぐ後に統一地方選挙があって、地元に若手議員が一気に増えたんです。当選された方に「典ちゃんが山梨の選挙を変えてくれたから当選できたんだよ」って言われたのは、ものすごく嬉しかったですね。
「女性だから変えやすかった」という面もあるかもしれません。最初はたしかにセクハラ・パワハラもたくさんありましたが、今や笑い話として語れるようになりました。今言われるのは「結婚しろ」くらいです(笑)。
■カラオケを一番最初に歌う理由は
衆院議員と政務官を兼務し、プライベートの時間はなかなか取れないという宮川さんだが、趣味や素顔についても聞いてみたところ…
宮川:政治活動を始めてから、1日どころか半日も休んだことがなくて…。元々ずっと水泳をやっていたのですが、身支度に時間がかかるスポーツなので、なかなかランニングみたいにはいきませんね(笑)。
運動不足の面はあるので、なるべく地元のスポーツイベントには参加して、無理やりにでも体を動かすようにしています。
高校生の頃はバンドでボーカルをやっていたので、支援者の皆様とのカラオケでは、一番最初に歌うのはいつも私です。始めに歌うのは、誰でも躊躇するじゃないですか。でも、政治家ですから恥ずかしがらずに歌っています。
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(取材・文/しらべぇ編集部・タカハシマコト)