全量槽しぼりで瓶燗火入れ 一本一本手造りで仕上げる『越後自慢』は江戸時代からの蔵

童話『赤いろうそくと人魚』のもとになった人魚伝説が残る里で。

■瓶燗火入れの採用は100年前から

越後自慢

さらに全量瓶燗火入れを行っているが、 「うちではずっと瓶燗火入れですよ。瓶が使われるようになってから」とのこと。

ガラス瓶が普及し始めたのは明治時代。1900年前後から灘・伏見の大手酒蔵で瓶詰の酒が販売されるようになった。一升瓶の大量生産が可能になったのは1922年のこと。

以降、木桶や大徳利に代わって国内独自の規格ボトルとして広く普及した。 そのころから瓶燗火入れをしていたというのだから、かなり先進的ではないか。

火入れとは酒の香り・味を安定させ、美味しいまま長期間保存できるように、65℃で15分ほど加熱すること。雑菌を死滅させるとともに酵素の活動を止め、熟成が進まないようにするためだ。

昔は大釜に酒を入れて加熱し樽に詰めていたが、今は熱交換器に通して酒の温度を上げ、殺菌するのが一般的だ。 これに対して、酒を瓶詰めしてから湯煎殺菌するのが瓶燗火入れ。

手作業で手間がかかるが、酒の劣化を防ぎ本来の風味を逃がさない利点が認識されて、最近は積極的に採用する蔵も増えている。

それを100年近くも前から実施していたというのだから、驚きだ。また、瓶詰も機械を使わずに手詰め。ラベル張りも3点張りでさえ手張りだ


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■蔵元杜氏として昔ながらを引き継ぐ

越後自慢

小山蔵元は7年ほど前から杜氏役も担っている。

「先代の杜氏が名杜氏だったんですよ。高齢で引退するにあたって、これからは経営者が自ら酒造りをするべきだとアドバイスされて、その気になりました。


うちのような小さな酒蔵が生き残っていくには、こういう選択もありだと思って。親の時代には黙ってても酒が売れたから、うちもそうですが、政界に入る人も多かったんです」


だから農大を卒業するとすぐに蔵に戻って、酒造りの現場に入った。名杜氏の指導の下に、伝統の食べながら飲む酒の造りを継承する

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■いつも食卓にある酒が理想