極軟水「天狗の清水」が醸し出す淡麗辛口 晩酌酒『越後杜氏』にかける五泉市の酒蔵

大吟醸と淡麗辛口に、新潟の中でも先駆けて取り組んだ。

金鵄盃

『越後杜氏』にかける五泉市の酒蔵、金鵄盃(きんしはい)酒造は、「いい酒はシンプル。飲む人の心に緩やかにしみこむ酒」を信条に、伝統的な食生活や郷土の祭りに溶け込む酒造りにこだわり、頑なに守り続けている。


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■淡麗辛口を代名詞にした新潟清酒の走り

「酒造りはもともと、勘と習慣に頼っている時代が長かったのですが、それを数字化・データ化しようと始まったのが、田中哲郎先生が組織した研醸会でした。


まだ大吟醸が世に認知される前から、先生は『大吟醸こそが酒造りの基本』と指導され、うちでも大吟醸造りが始まりました。売れようが売れまいが毎年挑戦して、データを蓄積してきたのです」


と、茂野卓子常務が蔵の歴史を振り返った。これを受けて茂野知行社長が語る。

「確かに吟醸造りができないと、いい酒造りはできません。吟醸の造りの各工程に、酒造りの重要ポイントが包含されている。酒造りは手間ひまかかって当り前なんです。


効率性重視の大量生産だけしていたら、酒造りが見えなくなると思うんです」


二人の話を聞いていると銘酒『越後杜氏』がなぜ誕生したのかよくわかる。 淡麗辛口を代名詞にした新潟清酒が世に広く知れ渡った現代、越後杜氏の名称もまた周知の事実となった。

日本の酒造りを牽引してきた代表的杜氏集団の名であるからだ。 だが、『越乃寒梅』を先駆けとして新潟清酒が日本酒市場へ大規模な売り込みをかけ、ブームとなるのは1985年頃からのこと。

そうした波が訪れる前の1983年、この『越後杜氏』はリリースされた。NHKの連続テレビ小説『おしん』が大反響を呼び、東京ディズニーランドが開園された年である。

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■新潟清酒を看板に背負った銘酒『越後杜氏』

金鵄盃

「大吟醸は売りたくて造り始めたのではありません。地元で支持されているのは本醸造。その本醸造の技術を上げるのが目的でした」と茂野社長。

この蔵では研醸会が解散されると、その後に組織された「越後酋楽会(しゅがくかい)」に所属し、酵母開発にも共に取り組んできた。とにかく研究熱心、酒造りへの深い想いが感じられる。

「地酒をストレートに表現したブランドが『越後杜氏』です。新潟の酒がまだ辛口でない時代でしたから、首都圏では日本酒度+4の酒は珍しかった。


今ではみんな辛口になったので、そんなに辛く感じないようですが。でもこれはスペックで辛口なのではありません。旨みの中にスッキリ感があるという意味です」


と、社長は正当派新潟清酒を解説する。 しかし、市場では淡麗辛口の反動で濃醇旨口への志向が生れているのも事実。

「飲み手の舌は成長していくもの。飲酒経験を重ねれば日本酒の原点に帰ってくると思うのです。フルーティーから入っても華やかさに惹かれても、40代50代になれば燗酒にハマっていく。


私はおでんで『越後杜氏』の熱燗が一番です。だからこれまでの路線を変える積もりはありません。最後の1本に帰ってきてもらえたらいいと思っています」


正当派新潟清酒の先駆けとして、新潟清酒の看板を銘柄に掲げた『越後杜氏』。これからも日常の食卓に当り前に上る越後の地酒であり続け、ふるさとの祭りの光景を飾る地酒として、後世にその造りを伝えていくのだろう。

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■霊峰白山を水源にする「天狗の清水」