「三さけのまち村上」で蔵と地酒を観光資源に ニーズに応えながら伝統を守る『大洋盛』
全国に先駆けて大吟醸を市販化するなど、つねにチャレンジを続けてきた。
■全国に先駆けて大吟醸を市販
大洋酒造では1972年、全国に先駆けて市販酒として大吟醸を世に送り出した。
「70年代、大吟醸の市販酒はまだ珍しかったんです。なにしろ、商品化が始まったばかりの吟醸酒を広めるために、日本吟醸酒協会が設立されたのは1980年代になってからですから」と、村山社長は社歴を振り返る。
「発売当初は買う人が少ないだろうと、当時の社長(私の祖父ですが)がラベルを手書きしていました。徐々に売れるようになり活版印刷になりましたが、シリアル番号だけは社長が手書き。これは代々引き継がれて、私も先代にならっています」
この大吟醸の購入者からは、感想とともにラベル番号を送り返してもらってきた。その綴りが「大吟醸大洋盛愛用記録」として残されている。
製造比率は特定名称酒60%、普通酒40%で依然として普通醸造量も多いながらも、大吟醸酒にこれだけの熱い想いで取り組んできたことに、この蔵の底力を感じさせられた。
■「越淡麗」使用の大吟醸で史上初の快挙
大吟醸の市販酒に現在使っている米は「越淡麗」。新潟県が地酒王国の威信をかけて開発した米だが、大洋酒造では試験栽培の段階から杜氏の田んぼを使い、プロジェクトに参画してきた。
2007年にはこの「越淡麗」で造った大吟醸が、関東信越国税局の鑑評会で史上初となる新潟県総代に選ばれた。「山田錦」に代わる品種として誕生した米の力を証明したことになる。
「大吟醸だけは「山田錦」を使い続けてきましたが、2004年からは「越淡麗」に切り替えて、使用米はそれ以来、新潟県産米100%になりました。
製造の現場では勇気のいることだったはずですが、「にいがたの名工」に認定されている田澤杜氏率いる製造部も、チャレンジ精神が旺盛なんです」
どうやらパイオニア精神、チャレンジスピリットは会社設立時からのDNAのようだ。