消費者や時代に柔軟に対応 日本酒ファンを増やした『上善如水』の開発秘話
水のように飲みやすく、女性にも喜ばれる『上善如水』。その開発秘話を聞いた。
越後湯沢は、新潟県有数の温泉街であり、川端康成の小説『雪国』の舞台ともなった地であり、冬には多くのスキー客で賑わう観光の街。
この地に安政2年(1855年)、湊屋藤助が豪雪地域ならではの豊富な湧水を使って酒造りを思いついた。これが、白瀧酒造の始まりである。
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■日本酒入門になるピュアな味わい
「水は酒にとって一番大事なもの。この地域は昔から周りの山々からの雪解け水が注ぎこむ谷地であり、湧水が豊富だった。
近くの三国街道を往来する旅人は必ずこの地で喉を潤していたそうですよ。昭和の頃は蔵の前にも池があり、目の前の道路は1mほど掘れば水が湧き出してきた。とにかく名水地でした」
というのは7代目蔵元、高橋晋太郎さん。 水の如く澄んだ誰もが親しみやすい日本酒を数々生み出す白瀧酒造だ。
■若いスキー客をターゲットに
かつて淡麗辛口が人気だった時代、すっきりと飲みやすい口当たりの『上善如水』を発売し、日本酒を知らなかった若者の心を鷲掴みにした。
「1990年発売の『上善如水』は、湯沢にスキーを楽しみにやってくる若者をピンポイントにターゲットにしました。当時は白ワイン人気が凄く、ワインが飲めるなら同じ醸造酒の日本酒も飲めるはずだと思って、白ワインのようなフルーティな香りですっきりタイプを造りました。
日本酒=親父くさいという印象も、日本酒離れの原因のひとつだと思ったので、ラベルや瓶も一新。するとそれまで日本酒を敬遠していた若い人が、『面白い!』『飲みやすい』と手に取ってくれるようになりました」