『クレイジージャーニー』でも話題の危険地帯ジャーナリスト・丸山ゴンザレスが吠える

「ジャーナリスト論」をテーマにした、10月からの新連載コラムだ。

■ライターとジャーナリストの境目とは

「はたして自分は『ライター』と『ジャーナリスト』のどちらなのか」 そんな悩みを抱えていたので、「ジャーナリスト」と名乗っている方々に出会うと、「ライターとジャーナリストの違いってなんなんですかね?」と、尋ねまわったことがありました。

その中のある人に言われました。

「(違いなんて)ないです。肩書きだけですよ。自分の名刺を切って取材してるんだから、あなたがジャーナリストと名乗ればもう立派なジャーナリストじゃないですか。


ライターだと名乗ればライター。やっていることは似ているところもありますが、自分が取材先で聞いてきたこと、発信する内容に責任を取るのがジャーナリストだと思いますよ」


単に「名乗る」というだけじゃなくて、文頭なり終わりなりに自分の名前が入ることで、「僕が書きました」と責任を持つのがジャーナリストということだった。その定義に妙に納得したというか、感銘を受けました。

署名記事や著作があっても、自分が書きましたと言い切る責任感が自分には欠けていたのだと思います。同時に、そう言い切れるだけの確かな取材をしなければならないのだと思い納得できたわけです。

ここでよく見ていただきたいのは、この経験の通り、僕自身が「ジャーナリズムとは何か」からではなく「ジャーナリストとは何か」を追究する時期を経てこの仕事に入っていったということ。そんなことがあったので、今回のようなタイトルを思いついたのかもしれません(笑)。

あんまり褒められることがないので、自画自賛してみました。すいません。普段はあんまやらないので、ご安心ください。


関連記事:加藤浩次、読書感想文に代わる宿題を提案 「時代に合ってる」と賛同相次ぐ

■ジャーナリストはライターより上?

さて、自分の文章に責任を持ちさえすれば「ジャーナリスト」でも「ライター」でも、肩書きなんてどちらでもいいんじゃないかという気持ちは強まりましたが、どうしてもパブリックなイメージでは、「ライター」より「ジャーナリスト」のほうがちょっと上だと勝手な階層付けをする人もいるようです。

実際に貴賎はないと思うのですが。 数年前(まだ深夜番組に出たりする前のこと)、とある飲み会でライターの肩書で名刺を差し出すと、自称ジャーナリストと小説家志望の2人に「ライターなんだ~」と、妙に見下された感じで接してこられました。

そのうちに、僕に何冊か著作があって、連載も持っているというのがわかると、「なんだ、言ってよ~」と急に態度を変えてきたのです。

彼らの基準がどこにあるのかなんてどうでもいいのですが、世の中、名刺の肩書だけで判断する人は少なからずいるのも事実です。

それならば肩書きひとつのために損をする必要はないし、どちらが上か下かなんて、そんなささいなことで戦う必要もないかなと思って、名刺には「ジャーナリスト」と書いています。

ちなみに今でも仲間内の飲み会などでは集まった面子を見渡して「ジャーナリスト」と名乗るのと場の空気が壊れそうだなとか、あれこれ説明を求められそうで面倒くさそうだなと感じた時には「ライターでーす!」とか「フリーの編集者です」と名乗ることもあります。

状況や相手によりけりです。本当にしょうもないことなんですけどね。

【Amazonセール情報】ココからチェック!

次ページ
■執筆者として再度表舞台に立とうと決意した理由