『クレイジージャーニー』でも話題の危険地帯ジャーナリスト・丸山ゴンザレスが吠える
「ジャーナリスト論」をテーマにした、10月からの新連載コラムだ。
■ジャーナリズム論ではなく「ジャーナリスト論」
取材して記事を書く職業を指す肩書きでも「ライター」「ジャーナリスト」などさまざまだが、「ジャーナリスト」を選択したきっかけは。 出版業界での僕のスタートは旅行記を書くことでした。
旅好きから紆余曲折を経て、デビュー作『アジア罰当たり旅行』(彩図社)が刊行されたことで出版業界に入りました。その後、これまた紆余曲折あって出版社に務めて編集者をすることになった僕がライター稼業を始めたのは、正直なところ仕事の合間に小遣い稼ぎみたいな気持ちがあった。
当時は、特別に目的が定まっていたわけではなく、ライフワーク的な取材をしていたわけでもありません。あくまでプライベートな時間を使って、取材活動と称し自分が見聞きしていることを書いてみるだけ。
ノンフィクション作家として旅行記を書くのとは、だいぶ違ったやり方です。でも、ライターとして僕が書くものを、周りからも面白がってもらえて、しかもお金がもらえる。
「これはいい仕事だな!」と思いました。もちろん、ライターとして署名なしの原稿ならば、会社にバレないので助かったという側面もありますが。
■二重生活からフリーランスへ
それから編集者としても学ぶべきことは多くあったので、あれこれとやっているうちに二重生活が何年も続いていました。
とはいえ、限界は訪れるもので、圧倒的に増えすぎたライターの仕事が会社の仕事を圧迫してしまい、「このままでは会社に迷惑だな」と思うようになりました。
そうなるとけじめをつける必要がでてきます。こうして、僕は出版社を退職して“堂々”と、署名記事を書けるフリーランスになったのです。
ちょうどその頃の僕は、当初やっていたライター業とは大きく違った形で文章を書くようになっていました。
自分で企画を立てて、取材相手にアポをとったり下調べをしたり、はたまた推論を重ねて仮説を構築して現場を検証するなど、入り口から出口までをひとりでこなすことが日常化していました。
これは会社員としての立場があったために、予算や期間に関係なく書くことができたためです。物書きとしてはいいことではあるのですが、このあたりで、ちょっとした違和感が僕の中で生まれていました。
ライターとジャーナリストの境目がわからなくなってきたのです。