もし本能寺の変がなかったら…信長は天下を取っていた?
2016/12/19 10:00
日本史上最強の君主・織田信長。この人物は、日本史を語る上で決して欠かせない。
なぜ信長が領土を拡大できたかといえば、「金の力」をフル活用したからである。
室町幕府の衰退は諸大名や各寺社勢力の財力が幕府を上回ったから起きたのであり、そうした仕組みを作ったのは足利尊氏。この人は軍人としては超優秀だったが、政治家としては二流以下だった。
すなわち、尊氏の失政の後始末を信長がやったと表現しても間違いではないのだ。
■信長の「善政」
信長はひたすら財力を増やすことで、抵抗勢力を次々に打ち負かした。彼の政策の基本は「自由貿易・市場原理主義」で、楽市楽座や関所の廃止もその一環。
だが、それに反対する一派があった。そのひとつが比叡山の仏教勢力。室町時代の関所とは寺社仏閣が勝手に設ける料金所のようなものだったから、それを排除しようとする信長と対立するのは当然だ。
だからこそ、信長は比叡山焼き討ちに踏み切った。この事件は彼の残酷性を示すものと言われてきたが、冷徹に考えれば「自由貿易VS無意味な規制」の対決である。
そして付け加えるならば、当時の寺社勢力は武蔵坊弁慶のような僧兵を大勢抱えていた。決して平和的な宗教団体ではない。
しかし、最終的に彼が天下を取ることはなかった。日本人の誰しもが知っている通り、本能寺の変があったからだ。
■「天下取り」になれない可能性が大きい!?
しかし逆に言えば、本能寺の変がなければ信長は存命中に天下を取れたのではないか?
しらべぇ編集部では全国の20~60代男女1,362名を対象に、「織田信長が生きていれば(本能寺の変がなければ)、天下をとれたか」かどうか、調査してみた。
すると「天下を取った」と答えた人の割合は、36.6%。じつに意外なことだが、あの政変が発生しなくても信長は天下統一できなかったと考える人が多数派なのだ。
現代人がそう考える理由は何か? やはり織田信長には、天性の能力でも補えないほどの弱点が存在したのだろうか。
■信長の健康不安
信長の弱点をひとつ挙げれば、「健康問題」だ。
彼は糖尿病を患っていたのではという説もある。考えられる原因は、塩分過多だ。これは有名は話だが、信長の食事を史料通りに再現したら1日の塩分量が40gを軽く越えてしまったほど。
つまり明智光秀が反乱を思い留まっても、信長は近いうちにこの世を去っていた可能性がある。
となると、信長自身が征夷大将軍になり新幕府を開くことはまず不可能。なぜなら、本能寺の変が発生した1582年の時点で足利義昭という征夷大将軍が存命だったからだ。
■節制が一番
義昭が死ぬのは1588年。つまりそれまでは、義昭との「寿命競争」に突入することになる。
ちなみに史実では、豊臣秀吉が義昭に「自分を養子にしてくれ」と頭を下げている。もちろん、征夷大将軍という肩書が目当て。だがその提案を断られ、仕方なく関白になる方針を採った。
秀吉と同じ提案を、信長がするとは考えづらい。だから朝廷工作の必要が生じるのだが、先述の通り「それまで信長が生きているか」が立ちはだかる。
現代人だろうと戦国大名だろうと、やはり身体の健康維持は重要な事項なのだ。
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(取材・文/しらべぇ編集部・澤田真一)
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