伊達と島津、もし仕えるなら?「似た者同士」両者の違いとは

Alexey Baskakov/Hemera/iStock
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戦国時代を象徴する大名家は何か?

この問いに対する答えは様々あるが、東北の伊達と九州の島津が16世紀日本に必要不可欠だということは誰しも否定できないだろう。京都から離れていたとはいえ、この両家は絶大な規模を誇っていた。

まずは、伊達家。第17代当主伊達政宗の偉業は、もはや説明不要。この男の出現で、混迷の頂点に達していた東北はあっという間に制圧されてしまった。豊臣秀吉さえいなければ、関東の北条を打ち負かしたのは彼だとも言われている。

そして南の島津家も、やはり群雄が軒を連ねる九州の大部分を支配。「釣り野伏」と呼ばれる戦法で次々と強敵を打ち破り、九州最強を誇ったのだ。だが、島津もまた秀吉の「犠牲者」。九州完全統一の夢は、東からやって来た猿の軍隊に潰されてしまった。

しかしいずれにせよ、伊達と島津が日本の両端にそびえ立つ二巨頭であることには変わりない。


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■「政宗人気」は全国的な現象か

では、現代ではこの両者のどちらが人気なのだろうか。

しらべぇ編集部では、「伊達と島津のどちらに仕えたいか?」の調査を実施した。

sirabee160909date1 すると57.7%の人が「伊達に仕えたい」と答えた。政宗は、どうにか過半数からの支持を維持。

だがこれもまた、地域差のある調査だ。ここで、対象を東北地方在住者に限定してみよう。

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するとやはり、伊達派が70.2%と出た。では次に、九州・沖縄地方在住者を対象にした調査結果を見てみたい。

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こちらの場合は島津が59%だが、伊達が41%を確保しているのは健闘したと捉えるべきではないだろうか。

「政宗人気」は全国的なものだという証明だ。

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■両家の「戦い」

じつはこの両家は、江戸時代に入ってから熾烈な戦いを繰り広げていた。

もっともそれは、槍と銃による合戦ではない。朝廷からもらう官位での争い。

伊達と島津は、互いを「同格」と見ていた。それは言い換えれば「最低でも同格でなければならない」。早い話がプライドの競り合いである。ところが18世紀中葉の頃、薩摩藩の島津重豪が仙台藩の伊達重村よりも高い官位をもらうことに。重村は激怒し、同時に猟官運動を始めた。

すなわち、幕閣へ賄賂を送る活動だ。だがそのための資金が膨大な額に上り、民衆を苦しめる結果になった。フィギュアスケーターの羽生結弦が出演したことで話題になった映画『殿、利息でござる!』は、まさにこの時代を舞台にしている。


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■最後に勝ったのは…

それだけ伊達と島津が「似た者同士」だったということもあるが、ひとつだけ大きな違いがある。

徳川に対して対抗心を持っていたか否か、という点だ。

関ヶ原当時から徳川方についていた伊達とは違い、島津は西軍所属。石田三成の敗色が濃厚になると、島津の軍勢はわざわざ徳川本陣の前を突っ切りながら退却している。

徳川家康は、両国に引き返した島津に対して有効な手段を打てなかった。討伐軍を編成したものの、完全勝利できる打算がつかなかったのだ。

これは島津から見れば、いつでも徳川幕府と戦う準備をしていたということ。そしてその対抗心は、19世紀中葉の明治維新につながっていった。

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(取材・文/しらべぇ編集部・澤田真一
qzoo調査概要】
方法:インターネットリサーチ「Qzoo

調査期間:2016年8月26日~2016年8月29日
対象:全国20代~60代の男女1,368名(有効回答数)

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Sirabee編集部

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