【真田丸】「悲劇の関白」豊臣秀次の切腹に新説を描く
2016/07/20 05:30
豊臣秀次という人物がいる。豊臣秀吉の姉の息子にして、秀吉の養子だ。
秀吉は子に恵まれなかった。だから姉の智(日秀尼)の子を養子にするという手段に打って出る。そのうちのひとりが、秀次。
彼は小牧・長久手の合戦では大敗したが、それでも秀吉に期待をかけられていたようで最終的に関白の座を譲り受けている。ところが秀吉と淀君の間に健康な男子(のちの豊臣秀頼)が誕生すると、あくまでも養子に過ぎない秀次が邪魔に。そこで秀吉は、秀次と権力闘争を繰り広げ切腹に追いやった……というのが今までの解釈である。
だが、先日放送された大河ドラマ『真田丸』では、まったく異なる解釈で脚本が書かれていた。
■秀吉は切腹を命じていない!
まず、『真田丸』の秀吉は秀次を追いやる気はまったくなかった。それを念頭に置かなければならない。
だが秀次は、秀吉の男子が誕生したことで自分が厄介者になると勝手に考え、失踪した挙句に高野山へ閉じこもった。それを知った秀吉は高野山に使者を送る。もちろんそれは、秀次を連れ戻す目的で遣わした使者。
しかし秀次は、自発的に切腹してしまった。それを聞いた秀吉は仰天しつつ、辻褄合わせに「秀次は謀反の罪により切腹させた」というシナリオを作った。そしてそうである以上は、秀次の妻子を処刑しなければならない。
今までの大河ドラマとはまったく違う「秀次切腹事件」の顛末だが、じつはこの解釈は最近唱えられた新説を基にしている。
■権力者の「使命」
繰り返すが、秀吉は子供に恵まれなかった権力者だ。近代以前の権力者は、「自分の血筋を残すこと」が重要な任務。
イギリス国王ヘンリー8世は、生涯に6度の結婚を繰り返した。そのためにカトリック教会と対立し、結果的にイギリス独自の新宗派を作ってしまったことで有名。だがそれは単なる「女好き」ではなく、ヘンリー8世が子作りに難儀したのが原因だ。
彼は6人の女性を娶っているにもかかわらず、その中で生ませた子供の数はわずか3人(他に庶子が1人)。しかも唯一の男子であるエドワード6世は、15歳でこの世を去っている。その後釜は2人の異母姉、メアリーとエリザベスが継いだ。ちなみにここで言うエリザベスとは、あの有名な女王エリザベス1世である。
ではもしメアリーとエリザベスが存在しなかったら、イギリスはどうなっていたか。当時のヨーロッパはハプスブルク家とフランスのヴァロワ朝が拮抗していたから、王位継承者の断絶はこの両王家からの介入を招いていた可能性がある。
大戦争を避けるためにも、ヘンリー8世の血を残すことは必須過程だったのだ。
■秀次は必要不可欠な人材だった
ヘンリー8世と比較したら、秀吉はまだ恵まれていた。日本の権力者は「側室」を持てるし、先述の通り秀吉の姉は男子を生んでいる。
ところが、その甥っ子たちも長生きしなかったのだ。智の長男秀次には2人の弟がいたが、いずれも若くしてこの世を去った。そして秀次が切腹することになる文禄4年(1595年)の時点で、淀君に生ませた次男(秀頼)が長生きしてくれるという保証はない。
そのような状況下で、秀吉が秀次を抹殺するというのは大変な愚挙である。あの知略に長けた秀吉が、そんな判断を下すわけがない。そうした新説を採用したのが、先日放送の『真田丸』だ。
同じ事象に対し、見方を変えることで様々な解釈ができる。それが歴史研究の醍醐味だ。
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(取材・文/しらべぇ編集部・澤田真一)
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