チェルノブイリ事故から30年 記憶は風化も「石棺」は残る
2016/04/26 11:00
■記憶は風化?
事故後、発電所があったエリアを中心に複数の村が廃村になり、住民は他の地域への疎開を余儀なくされた。その後のソ連崩壊を受け、このエリアはウクライナとベラルーシの2国に分断されている。
事故直後は、疎開した住民らの間で元の村に戻りたいという機運が盛り上がりを見せていたこともあるが、30年という時間の経過で亡くなった人も多い現在はどうなっているのだろうか。話を耳にしなくなってしまった。
いわゆる「記憶の風化」がいえるのかもしれない。現在、ベラルーシ側の一帯は「ポレーシェ国立放射線生態学保護区」とされ、立ち入りには許可が必要なエリアになっているようだ。
ウクライナ側の都市「プリピャチ」は、住民が避難したまま廃虚と化した。事故後の様子はたびたび、ジャーナリストの取材によって明らかになっているので、写真や映像を目にしたことがある人もいるだろう。
■「石棺」は今?
一方、発電所そのものは、現在もその姿を残しているようだ。
4炉あった原子炉のうち、事故を起こした4号炉はそのまま廃炉となり、汚染を封じ込める目的からコンクリートで固められて「石棺」化された。 その他の3炉は経済上の理由から廃炉せず、2000年まで稼働していたとされる。
いったんは汚染の封じ込めに成功した「石棺」も、耐用年数は30年。現在は、この「石棺」をさらにかまぼこ状のシェルターで覆う「石棺の石棺化」工事が進められているようである。
一方、主な汚染源とされた放射性物質「セシウム137」の半減期(半数の物質が他の安定した物質へ姿を変える期間)は30年。
当時を知る人々の声が届かなくなり、「石棺」が寿命を迎えても、セシウムだけは世代交代に至らず、まだまだ現役ということになる。
(文/しらべぇ編集部・上泉純)
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