川奈まり子の実話系怪談コラム 赤ん坊人形を供養したこと【第十八夜】

川奈まり子氏による「実話系怪談」連載。

第十八夜用

息子を産んでから間もない頃に、赤ん坊と同じ体重と身長の人形が宅配便で送られてきたことがある。

産科に入院中に、ある友人と電話で話しているときに、出生時の身長や体重、名前をたずねられ、うかうかと喋った。

彼女がお祝いのつもりでくれたに違いないが、その人形がなんとなく不気味なので困惑した。布製で、一種のぬいぐるみだが、持ってみると見た目の印象と違い、ずっしりと重い。何が詰めてあるのか気になった。

それに、顔や何かが、どうにも可愛らしくなかったのだ。中途半端にリアルな顔立ちや手足の造作が、正直言って、気持ち悪い。

高価なものだろうから、友人には申し訳なかったが、本音では見た途端に突き返したくてたまらなくなった。

片方の足の裏に息子の名前が刺繍してあるのも、勝手に、この人形を息子の依り代にと決めつけられたような感じも受けて、嫌悪感しか覚えなかった。

こんなものを欲しがる物好きが世の中にいるものなんだろうかと呆れて、インターネットで「赤ちゃん 身長 体重 新生児 人形」といったキーワードで検索してみた。

すると、いくつか新生児と同じ体重や身長の人形を受注販売する工房が複数ヒットした。どれも、友人がくれたのとは違い、ぬいぐるみらしくデフォルメされた可愛い見た目の人形なのだった。

友人が注文した人形の工房は、インターネットにホームページを持たないところなのかもしれないと思った。

……まさか彼女が自分で作ったわけではなかろう。

とにかく、贈ってくれたのだから、と、取り急ぎ電話で御礼を述べた。

「ああ、無事に届いたのね。良かった。気に入らなかったら捨ててね」

電話の向こうの声が、奇妙にはしゃいでいるように感じられた。

「ほんとにいいのよ。厭だったら、捨てちゃって!


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■AV女優を引退してから、だんだん疎遠になってしまった友人

その頃、私と彼女は、少し微妙な間柄になっていた。

以前、私がAVに出演していたときには、とても仲が良い友人だったのだが、私の結婚生活や新しい仕事が順調になるに従い、次第に隙間風が吹いてきたのだ。

彼女は私と同い年で、当時はAVを一応は引退して性風俗店で働いており、不倫の恋愛中でもあり、結婚や出産の予定はなかった。

仲が良かった時期には、私たちはAV女優同士だったのだ。

まだ友人ではあったが、いつからか、私には、いつまでも若い頃と変わらない生き方をしている彼女が歯がゆく見えて仕方がなくなってきていた。

もうすぐ40になるというのに、まだ裸商売を続けていくつもりなのだろうか、と。

せめて手堅い副業でも始めたらいいのに、と。

さもなければ家族を養える力のある男性と結婚するとか、そうでなければ性風俗に関係しつづけるにしても店を経営するとか、そろそろ駒を動かす側に回ることを画策しなければ……。

とにかく、中年を過ぎて裸の女一兵卒のままではまずいことになると思わないのか、と。

おせっかいと言えばおせっかいだが、友人の転落を傍観しているだけというのは辛い。そこで、今のままではまずいよ、と、婉曲な言い方で彼女に伝えたこともあった。

しかし、彼女が何かまっとうな仕事を始めることがあっても、毎度、ごく短期間しか続かず、好きになる相手は毎回々々、妻子持ちなのだった。

そういうわけで、私は彼女に愛想をつかしかけていた次第だ。

また、近頃、彼女が口にする、「まり子ちゃんはいいわね」「まり子ちゃんは特別」というセリフも、なんだか厭だった。

彼女は、私よりも美人で、能力だって高いのだ。たとえば、私なんかよりずっと上手に英語を喋れるし、中国語も少し出来る。読書家で博識で、各種のマナーを心得ており、人づきあいも不得手ではない。

私はと言えば、社交家には程遠い偏屈な性格で、学歴も低く、ろくに挨拶もお酌も出来ず、世の中出来ないことだらけだ。

彼女だって、自分よりも私の方がさまざまに劣っていることに気づいているはずだと思うと、「いいわね」と言われても素直に受け止められなかった。

それでもはっきり嫌いというほどではなかったのだが、マイナスの感情は伝わりやすいものと見え、だんだん、彼女の方からも連絡を取ってこなくなった。

出産で入院していた病院で、電話で会話したのは、本当に久しぶりだったのだ。

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■怪奇は、息子が人形で遊んでから訪れた

息子の名前が刺繍されている、新生児のときと同じサイズの人形を、ゴミと一緒にポイと捨てられるものではない。

しばらく私はそれを家に置いておいた。使わないバッグに入れてクローゼットにしまっておき、普段はもうそれについては考えないようにした。

そのうち、息子はハイハイしはじめた。

当時、私は、自宅でコラムなどを書いていた。スポーツ新聞や雑誌に連載を持っていたのだ。

赤ん坊に授乳しながら仕事をしていると、いろいろなことがおろそかになった。クローゼットを何かの用事で開けたら閉め忘れて、しばらく開けっぱなしになることなどザラだった。

だからそのときも、きっと、閉め忘れていたのだろう。気がつくと、息子があの人形で遊んでいた。

息子は、すでに人形よりもだいぶ大きくなっていた。何を考えたのか、人形の鼻に噛みつき、しゃぶっている。

「ばっちいからダメよ」

私は息子から人形を取り上げて、代わりのオモチャを差し出した。息子は駄々をこねず、人形への関心を失い、私が渡したもので遊びはじめた。

人形の顔は息子のよだれで汚れていた。ティッシュで拭いても、どういうわけか一部に赤っぽいシミがまだらに残った。

血ではない。顔料が溶けだしたように見えた。ただ、そのシミは、息子の乳児湿疹の赤いまだらとそっくりだった。


顔を見なくてすむように、私はもう使わなくなった木綿のおくるみで人形をぐるぐる巻きにした。

これを捨てよう、と決意していた。

ただ捨てるのは恐ろしい。

――燃えるゴミと一緒に捨てて、もしも息子が燃えてしまったら?

そんなのは、もちろん下らない妄想に違いない。しかし、たいして根拠のないそんな予感を脇に措いたとしても、名前の入った人形を簡単に破棄することには抵抗があった。

こういうときのために、人形供養というものがある。お寺でやってくれるはずだ。

そう思いついて、少し調べたら、上野の寛永寺で毎年9月25日に人形供養の大法要を行っているとわかった。


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■いつのまにか成長し、シミも消えていた人形。供養のときには泣き声が…。

やがて寛永寺で人形供養大法要が行われる日になった。私は赤ん坊を抱いて、人形の包みを持ち、朝から上野に行った。

寛永寺の人形供養は盛大で、祭壇が設けられ、きらびやかな袈裟を掛けた僧侶が幾人も集い、人出も多かった。

指示された場所に人形を持って行くと、何十体も先客があって驚いた。

私から人形の包みを受け取ったお坊さまが包みを解いて、人形たちの間に置いた。

思わず、声を出しそうになった。

こんなに大きかっただろうか? そう言えば、うちからここまで持ってくるのに、重くて辟易したのだった。

それに、顔の赤いシミが消えている。息子の乳児湿疹も、今はもう綺麗に治っているのだ。

「お子さんが遊ばれたお人形さんには、お子さんはじめ皆さまの念がこもっております。人形供養とは、そんなお人形さんたちに対して、観音様に抱かれて安らかにというお気持ちを御供養という形に表すことで、感謝と真心を示すものです」

そういうお坊さまの説明をうかがい、外の人形供養碑の前でご住職の読経を聴き、ご焼香をした。

しばらくすると、特製の炉で人形たちは次々に荼毘されはじめた。

あの人形も燃やされた。

空に昇る煙を眺めていると、赤ん坊の泣き声が間近でして、うちの子かと思ったら、違った。しかし、周囲を見渡しても息子以外には、そんなふうに泣く赤ん坊は見当たらなかった。

泣き声は、途切れ途切れにしばらく続いた。


人形を贈ってくれた友人には、今にいたるまで、あれを人形供養に出したことは伝えていない。

彼女とは、その後、どんどん疎遠になり、今ではまったく行き来がない。

何年も音信不通で、今、彼女が何をしているのか私は知らない。興味もない。


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■供養に出したおくるみには、人形が暴れた痕跡…?

先日、クローゼットを整理していたら、供養に出したときに包んでいたおくるみが奥の方から出てきた。

あのとき、おくるみを家に持って帰ってきていたのか。

10年も前のことなので、もうそのときのことは憶えていない。なんとなく、とっくに捨てたように思っていた。

人形を包んだときにはそんなことはなかったのだが、久しぶりに見たおくるみはなぜかボロボロだった。

布の表面の繊維がほつれ、穴がいくつも開いて、ところどころ引き裂けている。

虫喰いの跡かもしれないが、人形が出ようとして爪を立てて暴れた痕跡のようにも見えて、背筋が凍った。

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(文/しらべぇ編集部・Sirabee編集部

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