予想だにしなかった「解雇されたプロ野球選手」のその後【ザ・ギース尾関しらべぇ】
2015/05/06 19:00
画像はスクリーンショットです
みなさん、こんにちは。生きる希望である広島東洋カープが歴史的な借金を抱え、さらに最下位に沈み、毎日死体の様に過ごしているザ・ギース尾関です。
さて、皆様はシーズンオフなどにテレビで放送される「戦力外通告を受けた男たち」という番組をご存知でしょうか?
球団に解雇された選手たちのドキュメンタリーなのですが、番組名を聞いた方も多いのではないでしょうか。そんな番組でも紹介されている解雇された選手たちのその後の人生には、私たちが想像もできないような物語が数え切れないほどあります。
今日は、その中でも特に僕の心に残った「あまり知られていないプロ野球選手のその後のストーリー」をご紹介します。
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①プロ野球選手から青年実業家へ!現在は3社を経営する元巨人投手!
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小野剛。プロ野球ファンの方ならばこの選手のお名前を聞いた方もおられるかもしれません。
2000年の巨人ドラフト7位で入団した小野剛氏。その後二年で巨人を退団しイタリアリーグ、西武と渡り歩き野球界から身を引きます。
そして引退直後から不動産会社に就職。その傍で大学院に入り直し経営学修士も取得。現在はアスリートの不動産管理、焼肉店、野球塾など3社を経営。青年実業家として活躍されているそうです。
②プロ野球選手から競輪選手に!
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1997年カープドラフト2位の兵動秀治氏は野球を引退してからなんと競輪選手になった異色中の異色。
2003年で自由契約となった兵動氏は2007年の日本競輪学校の年齢制限撤廃に伴い、同じ高校の先輩の競輪選手から誘いを受け2008年7月に見事合格!
最初は勝ち星に恵まれなかったものの、2010年にはついに玉野競輪場で初勝利。不屈の精神で見事、他分野で花咲いた数少ない方の一人です!
③握りを変えて大活躍!
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阪神でも活躍した猪俣隆氏は1987年に阪神に入団して10年在籍した後、中日に移籍します。中日退団後、渡米中にふとしたきっかけで寿司職人の口を紹介され修行を経て渡米。
ワシントンで腕を振るったとのこと。現役時代はボールを握り、現在も寿司職人として日々美味しいお寿司を握っているそうです。
④清原にデッドボールをぶつけた選手がパティシエに!?
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1991年にカープに入団した小林敦司氏は、中継ぎでカープを支えた名投手の一人。
清原選手の頭にデッドボールをぶつけ清原選手から「ちょっとこいよオラポーズ」をされたでもお馴染みです。2001年にロッテで選手を引退した小林氏は、パティシエの修行を本格的に行います。
その甲斐あって2011年4月には東京・代官山に「2-3Cafe Dining」を開業し現在も客足の途絶えない人気店としてカープファンもスイーツファンも足を運んでいます。
⑤神様さえ予想できなかった引退後
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2007年に数々のメジャーのチームを経て巨人に来たジェレミー・ゴンザレス選手をごぞんじでしょうか?
わずか1年ではありましたが巨人ファンにはその勇姿を覚えている方も多いでしょう。彼のその後の人生は、誰もが予想しなかった事故で終わりを迎えてしまいます。
巨人を退団した翌年2008年5月ベネズエラのマラカイボ湖で水上バイクを操縦していたところ、落雷を受け死亡が確認されました。
まさかこんなことになるとは…。その終わりは神様ですら予想し得なかった事でしょう。
こんな一片を覗き見るだけでも様々な人生があるのだなと感じてしまいます。皆様もぜひプロ野球選手のその後の人生にも注目してみてください。
(文/ザ・ギース 尾関高文)
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