両国国技館・優勝力士の歴史 7連覇の千代の富士ほか 白鵬の優勝回数は?

現・両国国技館を支えた力士たちの歴史を綴ってみよう。

■二子山部屋の対抗勢力となった武蔵川部屋

1998年夏場所後、3代目若乃花が第66代横綱に推挙された。しかし、1999年に入ると若貴兄弟がケガなどで低迷してしまう。

20世紀終盤に台頭してきたのは武蔵川部屋だ。同年夏場所後、武蔵丸が第66代横綱に推挙。大関昇進から5年を要し、ついに頂(いただき)を手にした。両国国技館で優勝した武蔵川部屋の力士は、武蔵丸と武双山のみだが、当時は出島と雅山が大関に昇進するなど、注目を集めていた。

2000年春場所中に3代目若乃花が引退。2代目貴乃花も2年連続で賜杯を逃していたが、2001年初場所の優勝で復活をアピール。ここから新しい時代を作り、数々の記録を更新するものと思われた。

しかし、同年夏場所14日目の武双山戦でひざを痛め、千秋楽の武蔵丸戦では相撲にならず、優勝決定戦へ。上手投げで勝利した時の“鬼の形相”が多くの人々の目に焼きついた。このケガが大きく響き、2代目貴乃花最後の優勝となってしまった。


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■2003年以降はモンゴル出身横綱の時代へ

2003年初場所後、朝青龍が第68代横綱に推挙されてからは、モンゴルの時代へと変わった。2007年以降は主役が第69代横綱白鵬に変わり、2015年初場所で、通算及び両国国技館の優勝記録歴代単独1位を樹立した。

今の時代はまだまだ続きそうである。

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(取材・文/Sirabee編集部

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