吉野家を食べ尽くす!こだわりの食べ方①【マッキー牧元の世界味しらべぇ】
「ああ、うめえ」
「吉野家」に初めて出会い、思わず叫んだのは、20歳のときだった。1975年である。
最近話題になっていることだし、いってみるか、友人と2人で入ると、引き戸を開けた瞬間、「いらっしゃいませ!」と、大きな声が響き渡った。
その頃、デンバーにアメリカ進出を果たした吉野家は、イケイケで活気に溢れ、店員も威勢がよかった。「並を2つ」と頼むと、「並にちょう!」と、張りのある声で注文を通した。一人前のときは、「い」を詰めて、「並っちょ!」と言う。考えてみれば、「にちょう」と「いっちょう」は、聞き取りづらい。そのための策だったのかもしれない
今のように品数が多くないので、並か大盛りを頼めばよく、注文すると、店員が通路を滑るように瞬間移動して、丼を運んできた。
■溶き玉子をどうするか?
吉野家初心者の頃、まず悩んだのは、溶き玉子の処遇である。いつかけるのか? どこにかけるか? 七味との関係は? 溶きかたは? という諸問題にぶつかった。結局いつかけ論は、「30%食べ進み時にかける」に落ち着く。最初の30%は、玉子をかけない素の味を楽しみたいからである。
一方「どこかけ問題」は、「真ん中穴あけ注ぎ込み方式」に落ち着く。これは、「片側半分かけ」による、「玉子味と穢れなき味との交互食べ誘惑」に、打ち勝った結果である。
次に、七味をどこにかけるか問題だが、「牛肉にかける」か「玉子にかける」を試す。結果、玉子にかけて、ややマイルドにする方式を選択した。
最後に、溶き方問題である。やはり味気ない白身が突出することないように、コシを切りながら、丹念に溶くということで解決し、これで玉子問題は終わった。
しかし後年、まだ問題が残存していることが発覚する。
■セレブ食い
次に凝ったのが、頼み方である。社会人になって金銭に余裕が出てくると、工夫を凝らした。肉皿大盛りを頼み、それを3分の2ほどビールでやっつけてから、並丼を頼む。残った肉皿を丼にかけ、掻き込む。通称「セレブ食い」である。
支払いは1000円を少し超える。値段を告げる店員に1000円札を2枚渡し、釣りをもらう。そのとき、牛丼を黙々と食べる諸氏を睥睨しながら、「僕ってお金持ち」と、鼻を高くしてみせる。いやらしいが、人間これぐらいの高慢は許されてもいいのではないか。なにしろ1000円強でセレブ気分になれるのは、この場所だけなのだから。
■「つゆ」「しろ」「とろ」「葱」…etc
吉野家が会社更生法から立ち直った平成5年あたりから、様々な食べ方が開発されていく。最初は、築地本店に出向く河岸の人たちのわがまま注文から始まり、それが他店にも伝播していったようである。
いわく、「つゆだく」、「つゆぬき」。つゆ沢山もつゆ抜きも試し、若い頃はつゆだく派であったが、今はノーマルに落ち着いている。その後のトッピング展開も考えると、やはりこれが最もバランスがいい。
「つめしろ」、「あつしろ」。ご飯をわざと冷たくするか熱くするかという注文である。これを考えた人は天才であろう。食べていると侘しさが漂い、元気を出さなきゃと励まされる「つめしろ」は、仕事で落ち込んでいるときに効果的である。
一方「あつしろ」は、ご飯の熱で肉の香りが増幅するという二次的効果が期待できる。ただし熱いので、一気呵成に掻き込むことが出来ず、勢いが半減してしまうデメリットも併せ持つ。
「とろだく」、「とろぬき」。要するに、肉の脂身部分を多くするか、抜くかである。
「とろだく」は、野生を感じたい日に最適で、脂っぽさを緩和するため姜を多用するので、風邪予防にもつながる。
「とろぬき」は、体重増加が気になる人には向いているが、その前に、体重を気にしている人が吉野家に入るだろうかという前提がある。つまり「とろぬき」は、絶対矛盾的自己同一の注文であり、そういう観点から考えると、実に深い人間の業をはらんでいるといえよう。
「葱だく」、「葱抜き」。試してみたが、協調性が薄れ、自分には向いていないと決別した。
その他「つゆだくだく」(汁かなり多め)、「つゆちょいだく」、「つゆちょい抜き」、「肉下」(肉を下に入れ込んでもらう)、味噌汁の「お湯割り」や「冷汁」などは、勇気がなくて試せてはいない。さらに恐ろしい「ねぎだけ」も存在するらしいが、それって吉野家に行かなくてもいいのではないかと思う。
さて次回では、各店舗の食べ歩き結果と、マッキー流食べ方をご紹介する。
(写真・文/マッキー牧元)
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